楽曲を上手に演奏するためにはたくさんの経験が必要です。「こういう場合にはこうした方が良い」とか「こんな時にはこうしてみよう」と言うアイデアが必要なんです。
時には大きく鳴らしてみたり小さく鳴らしてみたりする必要もあるでしょうし、楽譜通りに演奏した方が良い場合とそうでない場合もあるでしょう。
楽譜通りに演奏するのは重要なことですが、楽譜は曲の全容を掲載しているだけであって、本来はそこに書いていないことが重要だったりするわけです。そこに書いていない事を補うのは非常に難しく、アドリブの世界は無限に広がりがあり、やり過ぎると上手くは聞こえないものです。どうすればうまく聞かせられるかと言うのを考えてほどよいアドリブを入れるのがちょうど良いと思われます。
例えば歌で考えてみます。一本調子で歌うとカラオケでは高得点がとれるかもしれませんが、実際は上手く聞こえなかったりもします。演歌歌手で凄く歌が上手いはずの人がカラオケで高得点をとれないなんてTV番組を見たこともあると思います。
採点をする機械は音符通りの音程、長さ、リズムを採点するようです。音符と音符のつなぎ方やちょっとタメを作ったり、まとめてみたりするのは良くないと判断されてしまうのかもしれません。
しかしながら、人間はカラオケの採点とは違います。歌い方で言うと、例えばビブラートがかかった歌い方は常にかかっていると上手くは聞こえなかったりもしますが、伸ばす所で上手にいれると音に表情ができたりもします。
音符から音符へと繋ぐ時、元の音から次の音へ等速で移動するより、次第に速く移動したりするような音から音への移動にニュアンスをつけるのもひとつの方法だと思います。これらは、色々と定義がありますが前者がグリッサンド、後者がポルタメントという感じでしょうか。
よくある方法としてハンマーリングとプリングオフを使用することによって単調になりがちな演奏にアクセント(この場合は飾りとして)が聞く人に変化を感じさせたりしてうまく聞かせることもできたりします。
これらを歌で表現するとホイットニーヒューストンのI Will Always Love
Youがそれをよく表していると思います。
最初の「If~」ですでに「イィ・・・フ」のように「イ・・・フ」と歌う所をギターで言う所のハンマーリングとプリングオフの連続のような変化をつけた歌い方であったり、and I will~の所の「I」のようにボリュームを押さえてみたり、伸ばす所に小さなビブラートを入れたりとテクニックのオンパレード。ギターの善し悪しは音や弾き心地の善し悪しなわけですが、テクニックはこのように音よりもその表現力に主に使われるわけです。
コードをジャカジャカと鳴らすだけであってもその強弱や長さに気をつけるとより良くなります。ホイットニーで言うと、強さはそのままに極力小さく鳴らすような歌い方など文字では表現しきれませんが応用できる部分は多いと思います。つまりはメロディーを弾く場合であってもコードを鳴らして伴奏をする場合であっても人が歌うように気をつけながら演奏するのが重要と言う事です。
結局の所、楽譜通りに演奏できることは間違いではないにしろ上手くは聞かせられないことが多いので、自分で試行錯誤する必要があると言う事から、それぞれのテクニックをどうすればうまく使えるのかを考える必要があるようです。
まずは楽譜通りに弾けるように練習をして、弾けるようになってから考えればよいことではあるのですが、より早くにそれらの感覚を習得することも可能です。
例えば、ギターコードと歌詞しか書いていない歌本のようなものを見て演奏するのもその一つの方法です。
オリジナルと同じように弾くようなことをコピーと言ったりします。多くの人が誰それのコピーを死ぬほど練習して上手くなったといいます。
しかし僕は思うのです。人のコピーはあくまで人のコピーを超えれないと。
いや、超えなくても良いのです。違う方向から伸びれれば。
その人を神や仏のように尊んでそうなりたいと思う場合はそれで良いのですが、個人的にはそう思ったことはありません。そう弾けたら良いなぁと思いながらも、別にこっちでいいやと違う方向で解決したりもします。
信じるというのは恐ろしいもので、そうしていないと間違いであると言わんばかりに責め立てられます。しかし、人のマネはその人を超えられないばかりかその方法でしか解決できなくなってしまいます。同じものを大量生産しているのではないのですから違うアプローチから同じ所に到達できる術を考えてみても良いと思います。
なので、独自な方法を編み出せる力を育てて欲しいと思います。ギターは同じ音を色んなポジションで鳴らすことができると色んな所で書きました。言ってもギターですからどのポジションでどう弾くかはある程度の最適解があると思いますが、それを超える弾き方や演出の発見ができるといいですね。